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 REBEL★ACTION  TERADA 

 1995年 3月21日 初ステ−ジ 以降、 
 幾多の、メンバ−チェンジを経て、現在に至る! 

 現在進行形の、 
 挑み続ける・・・アティテュ−ド! 
 R★A SOUL NEVER DIE 
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TERADA闘病記 第21回

2017/09/10 00:00
情熱の詩 < 転がり続ける道化者 >



自宅療養になってからというもの、半身浴を続けているが、これも、なかなか良いもんだ。

決して苦には感じない。

湯船につかり、オレの未来を考える。

このクセは、今に始まったことではないんだけどね。

ずいぶん前からなんだけどね。

無意識のうちに、オレの未来を想像してる。

簡単に言えば、どうすれば、REBEL★ACTIONというバンドを、今よりも、もっと輝かすことができるのかってことだ。

ただバンドを続けていくことが夢ではなかったもんでね。

やっぱり考えるよ。

どうすれば、知名度や、動員数、売り上げを底上げできるのかってことを。

より面白い状況を生み出したい、だからこそ数字というハードルも、クリアしていかなければ、次の新たなハードルに出会えないし、思い描いた場所にも行けない。

もちろん、自分の伝えたいことや、自分の考えるスタイルで挑戦したいってのは、大前提としてあるんだけどさ。

少しずつでも思い描いたものを、具現していきたいんだよな。


オレが唄いたいって衝動にかられたのは、TVの歌番組で、長渕剛が、「泣いてチンピラ」を、唄っている姿を観たときだ。

たしか中1の頃だった。

その時期のオレには、確固たる将来のヴィジョンというか、夢がなかった。

夢がなかったというよりは、長年、自分の中で育んできた、ひとつの夢が崩れて虚無感のようなものを感じていた頃だったわけ。


小学生の頃から、少林寺拳法の道場に通っていてね。

カンフー映画や、プロレスが好きってのもあってさ、まぁ、両親は喧嘩っぱやい性格を直すためにも忍耐力をつけさせようと考えていたみたいなんだけどさ。

オレは球技が苦手っていう反動もあってか、これだけは負けたくないって気持ちが強くあって、よほどの事がないかぎり休まず道場に通っていた。

風邪で学校を休んでも道場には行ってたからね(笑)


オレは少林寺拳法のプロになりたかったの。

いや、大真面目に思ってたんだよ。

当時のオレは。

少林寺拳法で、オリンピックや、とにかく大きな大会に出場して試合をする、そういうプロに憧れていたわけ。

なんにもわかっていないからさ。

いまでいう Kー1みたいな大会とかさ、オリンピックにも種目としてあると思い込んでいたわけよ(笑) 

これで一流になって飯食ってやるみたいなね(笑)

そりゃー両親も困ったと思うよ(笑)


小学生の高学年の頃に、奈良県大会で準優勝、優勝と、2年連続で結果を出した頃から、ますます、その気になっちゃってさ。

やれば出来るんだなって思いこんじゃったわけね。

もちろん、自分の興味あること限定での方向性ね。


でも、少林寺拳法の精神そのものが、そういった異種格闘技戦なんかを目的とした格闘技でもないし、オリンピックの種目でもない、道場を開いたとしても、それだけでは生活できないってのを知って、急激に、トーンダウンしてしまったわけ。

賭けていたからさ(笑)

ガキながらも、この道でって勝手に決めていただけにね〜(笑)


もうひとつ、一気にモチベーションが下がるにあたり、拍車をかけたことがあってさ。

県大会で結果を出したことで、年少の部ながら全国大会の出場が決まっていたわけ。

憧れ続けた晴れ舞台への出場ってわけだ。

この種目というのは、2人1組で行う、組演武というもので、2人揃っていないと出場できない競技なわけよ。

全国大会出場が決まっていたにも関わらず、残念ながら夢叶わず。

パートナーが道場を辞めることになってしまったわけ。

理由は、小学校高学年あたりになると、ありがちな理由ではあるが、進学塾に通いはじめるから辞めるということだった。

まったく呆れたというか、やりきれなかったよね。

だいたい、オマエなんかが進学塾に行っても、何の足しにもならねぇーよって言いたかったけどね。

まぁ、言わんこっちゃない、そんな筋の通らんことした奴は、しっかりバチ当たってはりましたわ(笑) クスッ。

オレってば、腹立つことは、しっかり覚えてるからさ へへっ


まぁ、話がそれたけど、そんな夢を失っていた時期に観た、「長渕剛」の唄っている姿が、バンドとか以前に唄おうとしたキッカケってわけ。

とにかく、ギターが必要だと思ったわけ。

だから両親にギターを買ってもらって練習した。

くる日も、くる日も練習した。

床が抜けるくらいに練習した。

どうすれば…カッコ良く見えるかだけを考えて、ステージばえするポーズだけを、ひたすらに練習した。


ギターのコードみたいなもんは、知らないうちに勝手に身につくもんだと思い込んでいた。

練習して身につくのではなく、髪が伸びるのと同様に、ギターを持ち続けているだけで、それとなく弾けるようになると信じて疑わなかった、十代の衝動!


こんなオレという奴を、時々、ほんのわずかに後悔する時もあるのだが、それも含めて…やっぱり、オレってば最高なんて思っちゃったりするわけ。

おかげで、いまだにギターは恥ずかしくて聴かせられない腕前だけど(笑)

「何かが出来ないからこその才能もある」って、オレは言い続けてるんだけどさ。


それから時間が経過して、初めてステージに立ったのは、高校生の頃だな。

確か、高校2年だったな。

初ステージは、バンドでなく、1人でギターを弾きながら唄ったっけ。

バンド組むにも、同じような音楽を聴いている連中も、なかなか見つからなかった。

それで、保育所から、高校まで一緒だった、英作って奴が、ベースを弾くという形態で3本くらい、ライブをしたな。

メンバーが見つかり、やっとバンドを組めたのは、高校3年の3学期あたりだったような気がするな。

高校卒業してからも、その時のメンバーで、少しの間はスタジオに入ったりしてたけど、結局2回しかライブ出来ずに、フェイドアウトしてしまったんだ。


だから、本格的に活動したバンドっていうと、REBEL★ACTIONが、最初のバンドってことになる。


REBEL★ACTIONこのバンドを始めたときから、カブれていた。

何の経験もないくせに、知識もないくせに、しっかりと…カブれていた。

なにひとつ、ノウハウがなくても、成り上がってやるって気持ちだけは、誰にも引けをとっていないつもりだった。

その根拠のない自信は、ミュージシャンの自叙伝や、インタビューを読みすぎて感化され過ぎていたのかもしれない。

とにかく、カッコから入った。

なにからなにまで、カッコだけだった。

いま思えば中身のない、ハリボテみたいな奴だったかもしれないけどね。


とにかく、ライブをするにも、ライブハウスに出演したりした事はあるが、高校生の頃に通っていた、スタジオ主催だったり、高校生バンドコンテストみたいなのや、町おこしの一環のような、コンサートホールの?落としにしか出演経験がなかっただけに、いまいちライブハウスに対してのスタンスなんかも分からないままだった。

デモテープを、ライブハウスに提出して、審査されて出演可能か否かが決まるというシステムも、いまいち乗り気になれなかった。

だって、いますぐライブする日を決めたいんだからさ(笑)

最悪、審査に落ちたらライブ出来ないわけで、その時点で挫折しそうな自分も嫌だったんだけどさ(笑)

いま思えば、審査に受かる自信もなかったんだろうな。

それでもカッコつけたかったわけよ。


それで、オレは考えた。

卒業ライブの企画を任されて、仕切ったことがあるから。

同じ段取りでやろう。

ライブハウス借り切ったら、ええんちゃうかってね。

そしたら、思うように出来るって考えたわけ。

少々の金がかかっても、あっという間に巻き返すくらいに思ってたもんね。

まっ、いまでも、そういう傾向にあるんだけどさ(笑)


とりあえずバンドが有名になるためには、デカい、有名なライブハウスに出演せなアカン。

そう考えていたわけ。

とにかく名前売りたかったからさ。

最初に押さえたライブハウスは、大阪ミューズホル(現OSAKA MUSE)。

だいたい、350〜400人収容できる会場だ。

デビューライブをするには、身の丈にあっていない会場。

そこで、いきなり企画イヴェントを行う。

無謀なのは百も承知だったけどね。

それでも、150人くらいは入るんじゃないの〜みたいに思ってた(笑)


CDを発売していないバンドのライブなんて、入場料を払ってまで来ないだろうと考えて、CDリリースするまでは、自分たちの企画イヴェントでは、いっさい入場料をとらず、入場無料でライブを続けた。

入場無料のチケットを、CDショップや、服屋さんに置いてもらったりしながらね。


しかしながら、さすがにオレも企画イヴェントを行う会場を押さえたものの、実力的な面では、正直不安すぎた。

企画イヴェントまでに、デモテープなしで、なんとかライブが出来ないだろうか?
 
それだけを考えていた。

早い話、お試し的な場が欲しかったわけだ。

ある日、楽器屋主催の、コンテスト形式のライブに、出演バンドを募集していると知った。

日にちも丁度良いタイミング。

おまけに審査なしで先着順で出演できるときたもんだ。

やたらメジャーかぶれなわりには、こういう安易な出演システムであっても、臨機応変、柔軟に対応しちゃいます。

なんせ自分の掲げた目的ありきなもんで。


出演を応募する際に手続きが必要だったので、楽器屋さんに出向き、出演希望の旨を伝えて登録完了。

その帰り際に、オレは付け加えておいた。


「オレタチ、トリじゃなきゃ、出ませんから」


コンテストを主催する、楽器屋さんから、オレタチに出演依頼があったわけでもなければ、間接的にでも、出演依頼を受けたわけでもない。

いわば自発的に、積極的に応募してきたにもかかわらず、トリ(その日の最後の出演)じゃなきゃ出演しないと、出演条件を提示する、まったくもって、とんちんかんな奴だと思われたことだろう。


しかし、そこは向こうも慣れているのか、「わかりました〜。他のバンドさんには、トリ以外で出演してもらうよう組んでみますね。どうしても、希望が、かぶっちゃっ場合は、ジャイケンで御願いしますね〜」


拍子抜けというか、なんだか恥ずかしい気分にもなったが、当時のメンバーには、トリという出演順を勝ち取ったかのように伝えたのは、もちろん言うまでもない。


とにかく、デカイ奴になりたかった。

いや、有名になりたかったの方が正しかったような気がするな。

そんな気持ちばかりが先走っていた。

だから、赤字になっても、失敗しても、いずれ発表するであろう、オレの自叙伝に書くための、ネタが増えたくらいにしか思っていなかった。

オレの、いまの病気だって、そのネタくらいに考えてるからさ。


そういう可能性を秘めた男だと思い込んで、いまに至っている。

そして、その可能性を…いまだ秘めたまま、いっこうに花開かずといったところか。

まいったな〜本当に(笑)


オレは湯船で夢描く。

汗ばみながら夢をみる。


オレは、オレをイメージするぜ。

オレの、サクセス イメージするぜ。


オレの描いた夢になる。

そんなオレを、また描く。


どこでだって、ROLLできるんだってば。

決して消えない気持ちが存在するならばね。
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TERADA闘病記 第20回

2017/08/30 03:00
情熱の詩 < ギラつく エモーション >



くそったれ!くそったれ!くそったれ!

オレの通院治療が、ひと段落したというのに、その翌日に、父親がリンパ腫と宣告された。

早い話が、癌だ。

正直、自分が、すい臓癌と宣告された時よりも辛かった。

全身の力が抜けていくような、嫌な感覚だった。

戸惑いながらも、虚脱感に支配されながらも、必死に着地点を見つけようとした。

母親の涙を見るのは、幾つになっても、胸が引き裂かれるような気持ちになる。

懸命に堪えているのが、手にとるように分かるだけに、なおさらだ。

必死に、しぼり出すかのように言葉を吐き出す母親が、痛々しく辛かった。

父親は、2週間ほど前から、首筋に腫れがあり、検査してもらっていたんだが。

どうやら、リンパ腫だったってわけだ。

治療が出来るってことは、言い方を変えれば、闘い方が見つかったってわけだから、闘いぬくしかない。

生きたいなら希望に手を伸ばし続けるしかない。

生きることに本気になるしかない。

PET検査後、父親のほうが、オレより早い入院になりそうだ。

まさかの、W入院になりそうだが、ふざけんじゃねぇーよって、笑い飛ばしてやるしかないな。

ついてるとか、ついてないとか、そんな事どうでもいいんだよ。

生きまくる! 

それだけのこと。

リンパ腫だ?すい臓癌だ?なめんじゃねぇーよ。

そんな気分だよ。
 
オレも、親父もな!




情熱の詩 < こんがらがったまんまで GO! >



なんだかんだ言っても、父親がリンパ腫と宣告された夜は、頭の中が整理できないまま、鉛のような身体と心で、横になっていた。


翌朝になっても、どうにもこうにも、気持ちが整理できず、今回ばかりは乱雑に、散らかったまんまだった。


歩きながら、色々と考えていた。

結局は、前を向くしかないんだよな。

あきらめず、希望に手を伸ばすってことしかないもんな。

そりゃー複雑なのは、当然だけど、立ち止まっていたんじゃ、何も変わらないし、始まらないからさ。

負けねぇって気持ち、これをブラ下げて進むしかないもんな。


びまん性大細胞型リンパ腫…こんな名前らしい。


手洗い、うがいの徹底と、水分の補給。

あとは豆類を基本とした食事。

それと身体を冷やさないこと。

治療が始まる前から、準備出来ることだってある、早速、父親には実践するように伝えてみた。


それにしても、先日、腫瘍の組織を検査するため切開されたわけだが、検査後に、ぬいあわせた部分が炎症を起こし、父親は熱を出し、消毒のため、3日ほど続けて通院している。

どうやら、初歩的な確認を怠ったみたいだ。

的っぱずれに噛み付くつもりは毛頭ないんだが、自身が手落ちのあるレベルであることくらいは、肝に銘じて痛感しておいてもらいたい。

なかには、大上段に構えた、たいそう御立派な名医気取りなんかも、あつかましく生息しているのを、見かけたりするもんでさ。

あくまでも、全般的な話ではなく、ごくごく一部に対しての話だけどね。


しかしながら応急処置をしてくれた医師は、責任感が強く好感を持てる方だった。

ささくれかけた感情も、なんだか収まるところに、収まった。

そんな感じだ。
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TERADA闘病記 第19回

2017/08/10 14:22
情熱の詩 < 歩いていこう >


リメンバー JUN SKY WALKER(S)
まぁ、それは良いとして。

通院治療が一段落して、手術までの検査は、CT・MRI のみとなった。

起床時間は変えずに、出来るだけリズムを崩さず、だらだら過ごさないようにだけは、気をつけたいところだ。

楽な方向に転がり、バランスを崩すのを、踏みとどまるには、自分自身の組み立てたリズムを抑止力とするしかないからね。

朝起きて、朝食の後に、少し横になる。

30分のストレッチで身体を充分ほぐす。

そして、これまで通院に出かけていた時間あたりから、ウォーキング開始だ。

ざっと 5キロ。

ストレッチ程度では、身体が、なまって仕方ないしね。

それを痛感したよ。

2週間もすれば、再入院だから、また運動量が極端に減ってしまう。

また身体が、なまってしまうのは事実だが、手術までの期間の、ウォーキングも無駄とは決して思わない。

手術に万全で挑みたいしね。

少しでも回復が早くなればという部分もあるしね。

可能なかぎり、足し算で考えていきたいからさ。

身体を動かすことで、声の出方も調子が良くなってきたらなと思ったりね。

炎天下、汗だくでウォーキング。

それにしても緑が豊富すぎるな、オレの住む町は(笑)

ウォーキングには、もってこいなんだけど、とにかく自然のニオイがする(笑)

バンドメンバーの、ドイフミオは駅に降りた瞬間に、田舎の懐かしい香りがするねと、間違いじゃないけれども、リアクションに困るコメントを吐き出してしまう、そんな町だ。

オレはといえば、長袖と、半袖のTシャツを重ね着。

腹部には、サランラップ&コルセット(4年前くらいに、アバラにヒビが入った時に入手したものの使いまわし)。

家の近くの高校を通り過ぎ、パン工場の前を通過して、幼い頃に遊びに来た川沿いを歩く。

そしたら、見事なくらいに田んぼが広がっている。

天気も良いし、虫達も元気だ。

カナブンなんかも軽快に飛び回っているぞよ。

これが…困るんだよな。

フラッシュバック!

保育所に行き始めた頃からだろうか、あまりに虫を嫌がる、オレを心配してか、両親は深い、あまりにも深すぎる愛情のあまり、かなりスパルタに、オレの苦手意識を払拭しようとした。

あるときのこと、母親が、カナブンを糸に括りつけて飛ばした状態で、オレに糸の端を手渡そうとした。

母親からすれば、こんな風に虫と触れあえると楽しいよみたいな感じだったんだろう。

ところが、オレからすれば、ありがた迷惑もいいとこだ。

もちろん、オレは断固、ノーサンキューそんなオレの意思表示に、母親は、「こんなん なにが怖いの〜!」そんな言葉を吐き捨て、オレを追いかけてきた。

手には…カナブン。

糸をつけられ全く迷惑千万な事だったろうに。

かわいそうに、カナブン。

同情しちゃうぜ。

オレはあわてふためき、近所の、おばさんの家に逃げ込んだんだが、勢い余った母親は止まらない。

全盛期のスタンハンセンばりに、ブレーキの壊れたダンプカーの様相だ。

いまだに鮮明に覚えているというか、さすがに忘れられないメモリアル。

あと、これも強烈だったな。

かまどうま 知ってる?

コオロギの種類と聞いたことがあるんだけどさ。

ちょっと、クモっぽいんだよね。

それがまた、オレ苦手だったわけよ。

晩御飯が、カレーライスだったんだよ。

食事中に、コップに水を入れるために、台所に行ったわけよ。

そのときに、「かまどうま」その存在を確認してしまったもんだから、びっくりして、一目散に、さっきまで食事をしていた 食卓に戻ったわけよ。

もちろん、コップに水を入れるという目的は果たしていない。

息子の行動を察して、なにか変だと感づいた母親は気にいらなかったんだろうね。

そういう軟弱な姿勢が嫌いだったんでしょうよ。

いや、絶対に許すまじき姿に映ったんだろうね。

何も言わず、母親は、オレの背後から愛情を注いだわけよ。

Tシャツの首筋から異物混入、直後に背中を水平チョップ。

「ギョエー」

つまり、カレーライスを食べてるオレの首筋から、かまどうまをTシャツの中に入れ、背中から、Tシャツ越しにパシッと叩くという、強行かつ、強硬な手段に、打って出たわけですな。

「こんなくらいで怖いとか言うてたらアカンで、男の子なんやから」

そういう母親に、「むしろ女の子で良いよ〜」とも言うわけにはいかず。

またもや強烈な愛のボディーブローを、ありがたく頂戴したわけ。

そういや〜カミキリ虫という、フィルターを用いた愛情表現もあったな。

父親が、「ほら、カミキリ虫を見つけたぞ〜」と、オレに渡そうとしたわけよ。

さも息子が喜ぶのを想定したかのような笑顔でさ。

しかしながら…

その時の、オレのリアクションときたら分かるとは思うけど、もちろん拒否するわね。

オレッチ苦手なんだからさ。

そしたら、「なにが怖いねん」と吐き捨て、手に持ったカミキリ虫をほっぺたに、グイグイ押し付けてきたわけよ。

いや、怖いとか怖くないとかより、「もう漫画の世界やんけ〜」と、全てを投げ出したくなるような状態。

父ちゃん、母ちゃん、ありがとう。

きっと、オレの行く末を心配するあまりの、過剰とも言うべき愛情表現の数々に感謝しつつ、やっぱり、オレ、いまだ…虫嫌いなままです。

田舎に生まれ育ったくせに、シティーボーイ気どりで、虫なんか苦手〜などと、おどけてしまう奴になっちゃいました。

こんなオレですが、近頃では、ゴキブリを見つけても、怯まず積極的に戦闘するという、スピリットを、おかげさまで、ようやく手に入れました。

そういう意味では、あの頃のスパルタ教育が、オレの日常に生きていると言っても過言ではないです。

時々、こういった懐かしいことを、思い返して話すと、きまって母親は、
「そんな、ひどい事するわけないやん。かなんわ〜アンタ、思い違いも甚だしいわ〜」まったくもって、しらばっくれたかのような、セリフを言い放つ。

オレ 「かなんのは…アンタやがな」 

2人 「どうもありがとう」…と、舞台を降りてしまうかのような、やり取りだ。

そんなこんなで、…とにもかくにも オレは、ウォーキングを始めた。

汗も、疲労も心地いい。

景色を眺めつつ、歩くのも楽しいもんだ。

とにかく オレは、ウォーキングを始めた。
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TERADA闘病記 第18回

2017/07/10 20:20
READY GO < オレのベクトル >


入院して、退院して、通院ってな経験をして思うことは、もし、オレが有名なら、TVカメラや、報道陣が集まってくるのかな〜とかさ(笑)

ドキュメンタリー番組とか制作されるのかな〜とかね。

飽きないな〜。懲りないな〜。

こういう誰にも頼まれていない身勝手な妄想は。

オレが有名だったらな〜

いや待てよ。

売れないバンドマンのオレがやって何が悪い。

待ってても、そんな機会ないなら自分から発信しよう。
 
だいだい、こんな発想で、いままで転がり続けてきた。

せっかく時間が与えられたんだから無駄には出来ないもんな。

復活ライブは来年になるだろうと想定して、
頭に思い浮かべた、映像の流れを組み立ててみる。

早速、オレタチREBEL★ACTIONの映像関係を担ってくれている、RYU・KAJINOに連絡してみる。

オレの頭の中を言葉にして伝える。

とにかく、オレから撮影の連絡あれば全力で臨む気持ちでいたと、嬉しい言葉を聞かせてくれたもんで、そんじゃ〜たっぷり甘えさせてもらいます(笑)ってなるよね。

見切り発車は、いつもの定番、お約束。

バンドで唄うだけが、メッセージじゃないぜ。

ある意味、人生一度の大ピンチが、考え方次第で、人生一度の大バクチに化けるかもしれない。

なんの約束も、アテもないけれど、しこたま現金つっこむ挑戦じゃないなら、やってみるべきだと思って走り続けてきた。

オレの、ベクトル次第で実現するかもしれない、そんな可能性があるなら試してみよう。

後悔っていう、後味の悪さは、できるだけ勘弁願いたいんだわ。

そんな感じで、いまなお青春満喫中さ。




READY GO < 日常的咆哮 F >


いまに始まったことじゃないけどさ、新聞や、テレビを観ていると、改めて思うのが、短絡的な思考回路の持ち主が多いということだ。

もちろん、これまでからも唄の中で、疑問符や怒りを突きつけてきたけどさ。

本当に配慮の足りないというか、他人様に対する配慮、気遣いといったものを持ちあわせていないんだろうね。
 
イマジネーションの低下の、はなはだしい事よ。

人の心を持たない、そんなバカ野郎共が、尊い命を踏みにじる。

毎日、毎日、そんな奴等の狂気の沙汰が知らせとなる。

なんにせよ、そんな時代の、ド真ん中で生きている。

その事実を手前の、どてっ腹で受止めるしかないのだ。

こんな時代に生まれたことを、嘆いてみたって何になる?

信念なきキレイごとなど役立たず。

行動ともわぬ理想論など用なしだ。

それでも、オレは、何も発することが出来ないより、青臭い キレイごとだとしても、本気で言える奴のほうが好きだけどね。




READY GO < 通院治療・最終日 >


抗がん剤治療、放射線治療と、手術前の治療は、ひとまずフィニッシュだ!

放射線 二十七回

まぁ言うなれば二十七戦突破だ〜。

プロレスで言うならば、チャンピオンカーニバルや、G1リーグ戦みたいな。

まぁ…そんな感じだな。

最終日は、プロテクターの圧迫感との闘いにつきるね。

やっぱり、腹部がダブついちゃってね。

どうにかこうにか治療を終えて、少し気持ちも楽になったんだけど。

かなり辛かったもんね。

呼吸するのが苦しかったくらいだよ。

それとは、別の話なんだけどさ、父親が検査続きでね。

こめかみ辺りから顎にかけて、まぁ、首筋といったほうがいいのかな、少し前から、コブのようなものがあって、腫れてきていたもんだからさ。

何回か検査しているんだけどね。

少し腫れている程度だったのが、結構、腫れが大きくなってきているもんで、気になるんだけどさ。

こういうのって続くもんなのかね〜

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TERADA闘病記 第17回

2017/06/10 09:30
READY GO < 著しく増量中 >


自宅療養期間で、不安なのが身体の変化。

体調そのものっていうよりは、はっきりいって体型だね。

最低限の基礎体力は維持しようと思っていても、やはりこれまでの生活とでは、運動量が相当違ってくるからさ。

しかも幸か不幸か、抗がん剤治療の副作用で、あちこちから聞いていた、胸のむかつきや、吐き気からの食欲不振が、オレには全くない。

むしろ食欲旺盛なんだよね。

よって、ガンガン増量中ってな具合であります。

でも体型が変わってくると、何が困るって放射線治療の際に、毎回装着するプロテクターが窮屈になってくるんだよね。

このプロテクターは、治療中に呼吸したときなんかに、腫瘍が動くのを制限するためにと、かなりハードボイルドなくらい、体型にジャストフィットなもんだから、体型が変わると締め付けられる圧迫感が、並じゃないわけよ。

そんなことを言いつつも、あっという間に残り数回で、手術前の治療が一段落するが、これまでとは違う生活の中で、体型、体調を維持するのは至難の業だよな。

通院治療が終われば、抗がん剤治療も一段落する。そうなれば白血球の値も徐々に上がってくるだろうから、ウォーキングでも始めるか。

上下で、8百円というジャージを再入院に備えて、2セット買っておいたし、入院時だけ着用なんて、もったいないからな。

うん。そうしよう。これはこれで新たな楽しみだ。




READY GO < 名古屋メタル野郎machinegunman >


名古屋の仲間から電話。

オレがリスペクトするギタリストの1人でもある。

現在は、ブルース、メタルという方向で、自分の熱に対して真っ直ぐに向き合っている男だ。

豪快に笑う姿も印象的な奴だ。

彼が以前活動していたバンドとは、名古屋、長野、京都、大阪で一緒にライブをしたことがあったんだが、ここ数年、顔を合わせていなかったもんで、ずいぶん久しぶりだったんだけど、すごく心配してくれていてさ。

電話で話してくれていたんだけど、お母さんが癌だったらしくてね、自分で免疫力を高めてさ、生きるために必死になられたんだろうね、余命半年って宣告されてから、数十年たっても御健在だという。

電話口で話している、ギタリストもバイク事故で、足を切断するか否かの状態になったらしいんだけど、自分の回復力を信じ、これまた困難な状況を克服したという。

そんなこともあるんだよな。

勇気が湧いてくるよな。

こういう気持ちってさ。

嬉しかったね。

素直に嬉しかった。

心が、のっかってんだよ。

しっかりとね。

やっぱり、この男はプレイの技術だけじゃなく、人の心に響くものを持ち合わせている、そんなギタリストなんだなって思ったよ。

また久しぶりに、演ろうぜ。

ゴリちゃん。

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TERADA闘病記 第16回

2017/05/10 12:00
READY GO < それぞれの着地点 >


通院の中で、週に1回は採血もあるんだが、白血球の数値は、ずいぶん下がってきている様子だ。

風邪など油断禁物ってわけだな。

治療が進んでいく中で、どうしても身体の気だるさは否定できない。

それを如実に感じ始めていた。

食後に動こうと思っても、ワンクッションが必要になる。

自分に動かなきゃと言い聞かせてから、動き始めるってな感じ。

まったく、なんだかな〜

これが副作用と言えばそれまでだけどね。

腹部と、背中の痛みも自覚症状としては存在している。

ただ夜中に眠れなくなるってわけでもないし、そこまで騒ぎ立てる状態でもないから、治療の途中なんだから、こんなもんだろうと思っている。

昼に寝てしまうことも、多々あるんだが、昼間に身体を横にしてから、8時間も寝てしまっていたのには、さすがに驚いた。

しかも、なんだか、もったいない気分になってしまうのは、この療養期間を、オレが人生一度の超大型・夏休み的解釈をしているからだろうか。

どうせなら楽しむしかない。

満喫するしかない。

うなだれても、へこんでも、泣いても、笑っていても、同じだけの時間が流れるわけだしね。

こういう考え方だからかもしれないけど、よくポジティブだと言われるんだが、オレは、自分自身を、ポジティブだと思ったことは全くない。

ただ、現実に直面して、打ちのめされ、とことん悩んで、落ち込んでも、自分の着地点だけは、見失わないようにしている。

どこか開き直って、なおかつ混乱した自我を整理する。

そしたら己の導火線に着火して、他でもない自分自身を盛りたててやるのさ。

そうでもしなけりゃ、そこから先に進めない、オレは、そんな面倒な奴だから。

自分の面倒臭さを知っているっていう、それだけの話なんだよな。




READY GO < 日常的咆哮 E >


体調は、いままで通りといえば嘘になるけど、治療が進むにつれて生じる、少々の違和感は覚悟していたから、ガタガタばかりも言ってらんないよな。

すべては、希望の出口に辿り着くため!それだけのこと!怖さも、不安もあれば、時に落ち込むときもあるよ。 

そりゃ〜 人間だもん。

それでも、オレは決めたからさ!オレは、決めてんだからさ!唄ってやるってな。

それは…言い換えれば、生きてやるって言葉と、同じ意味なんだよ!

どんな状況であれ、踏ん張っている連中は、みんな闘っている。 

そうだろう?

オレも立ち止まってないってことだ。

ROLL…してるかい?

オレは、いつだって…「YES」そう答えてみせるよ。
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TERADA闘病記 第15回

2017/04/10 22:22
READY GO < 通院治療 途中経過 >


通院治療が始まって、2週間近くが経過した。

やはり相変わらずの便秘。

こりゃ手強いね。

下剤飲んでみたとこで効き目なし。

どうやらこれも副作用の1種みたいだね。

あとは身体が疲れやすくなったってこと。

これまでだったら考えられなかったんだけどさ、ついつい昼寝してしまうんだよな。

1度横になると、3〜4時間は熟睡してしまうんだ。

治療開始前に説明を受けた、副作用のひとつで、白血球の数値が下がり、免疫力が次第に低下していくという事なのかな。

身体を動かすことが、おっくうに感じたりした瞬間が、頭よぎるも、あまり考えすぎないようにしている。

あくまでも体調ありきだから。

それにしても、身体を動かそうとする行為を、面倒に感じるのは、自分の中で腑に落ちない。

なんだか悔しい気もするんだよね。

副作用なんて、ある程度あっても、当然くらいに考えているから、さほど気持ちが滅入ってるわけでもない。

むしろ、この程度なら、まだまだ余裕あるぜってなもんさ。




READY GO < STAND AGAIN >


高校の頃からの友人から電話があった。

オレのブログを見て、オレの状態を知り、電話くれたってわけだ。

ずいぶん心配してくれていたみたいなんだが、オレの声を聞いたら、元気すぎて、半ば呆れていたよ(笑)

数日後、もう1人の友人と見舞いに来てくれたんだが、オレの部屋で3人で集まるなんて、十八年振りくらいになるかな。

久しぶりすぎて照れ臭かったけど、こういうのも悪くなかったよ。

電話してくれた奴の名前は、カヨ アキラ。

REBEL★ACTION結成時のメンバ―でもあり、こいつとは高校の頃から、一緒にバンドやってたわけさ。

カヨから、色んなバンドを教えてもらったな。

カヨの兄ちゃんも、バンドマンだったし詳しかったよ。

REBEL★ACTION活動はじめてからも、さりげなくバンドのことで、アドバイスくれたりしたもんな。

その当時は、全然ありがたみ感じてなかったけどさ(笑)

自分に自信がない時って、素直に言葉が入ってこなかったりするもんね。

カヨの部屋で、ラモ―ンズを初めて聴かせてもらった時に、「ギタ―ソロなくても曲書けるよな」、そんな会話をしたのが全ての始まり。

そこから曲を書き始めたんだ。

オレに、一歩を踏み出させてくれた奴でもあるんだ。

ギタ―ソロなんて弾けないから、考えようもなかったんだけどね。

でもなんとなく踏むこめずにいたんだよな。

そんなオレタチに希望の光を与えてくれたのが、ラモ―ンズだったわけ。

もちろん都合の良い解釈でしかないが、履き違えた勢いと、情熱しか持ち合わせていない、そんな当時のオレには充分すぎる、キッカケになった。

ラフィンノ―ズの、カッコ良さを教えてくれたのも、コイツでね。

「ラフィンやったら、ラフィンロ―ル聴かな、はじまらんで」そう言って、ラフィンロ―ルって、アルバムを再生した。

オレが初めて聴いた、ラフィンノ―ズは、中学の頃レンタルで聴いた、メタリックな雰囲気の「MEAT MARKET」だったわけ、予想していた音と違っていたから、なかなか取っ付きにくくて、聴かなくなっていたんだけど、カヨのおかげで魅力を知ったってわけなんだ。

そんな、カヨと会うのは、3年ぶりくらいだった。

3年前、大雪の日に、大阪・十三Fandangoに、自分の息子を連れて、REBEL★ACTIONを、観に来てくれた以来だ。

その日、オレタチは、The STRUMMERSの、オ―プニングアクトとして出演した日だった。

そういえば、The STRUMMERSメジャ―デビュ―アルバムを、学校帰りに、カヨの家で封を開け聴いたのを覚えている。

ただでさえ、思い入れのあるバンドと一緒の夜だというのに、十代の頃、共に胸を焦がし
聴いていた友であり、元メンバ―が駆けつけてくれたのは、感慨深かったな。

それにしても、久々に再会したけど、あっという間に時間が過ぎたよな。

オレ以外の2人は、結婚もしていれば子供もいる。

でも何にも変わっちゃいない。

いや、変わってないはずなんてないし、変わっていて当然。

もちろん、オレだってそうだ。

ただ3人で話している時間は、あの頃となんら変わりなかったよ。

ただ、1つ決定的に違うことは、3人ともタバコを吸わなくなったって事だよな(笑)
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TERADA闘病記 第14回

2017/03/21 21:00
READY GO < 麻火子 >


実に難しいのが、バランス関係ってもんだ。

この場合、自身のなかで保つべき、バランスというよりは、いわゆる対人関係における調和ってわけ。

他人に対する配慮ってのは、結局 相手側(受け手側)にも、他人に対する配慮がなければ,読み取れない(受け取れない)って事なんだろうな。

まぁ〜それでも、オレは、オレの思う美意識とやらを発信したいと思うんだがね。

それが磨り減っていくだけの行為だとしたら、ちと辛いのも事実。

しかし…これまた性分といえば、それまでか。

他人様の気持ちを読み取るなんて不可能だとしても、そいつが自分にとって大切な奴だというのなら、可能なかぎり同じ温度と、深さで関わりたい。

その場かぎり、後くされなしって意味だけの異性との行為なら、まったく異論なしだけどね(笑)

数日前、十年前に出会った友が、ずいぶん遠い街から来てくれた。

芝居に、詩の朗読に、漫画に、田植えと、落ち着きのない、医療従事者である。

内に外にと、問題意識を持ちながら、数ある矛盾に唾を吐いては、自問自答する、いわゆる、一般的解釈からすると…へんてこりんな奴と思われかねない、そんな素敵なバカである。

とにかくアンテナの感度が良好な奴であるからして、話していても楽しい。

病気も、音楽も、家族も、人生も、夢も、絶望も、天邪鬼な感覚も、セックスも…同列に並べて、希望の出口だけを、ひたすらに探す、それ以外を突破口とは認めない、そんな有り様で言葉を交わす。

互いの、重なりすぎる思考に、「まったくもって バカだねぇ〜」 

…なんて言葉で労いながらさ。

もしも、共通項が何かの理由でチグハグになったとしても、それはそれで興味深く 受け入れて消化できるのかもしれないな。

結局のところ、その人間を受け入れてるか否かって事なんだろうからさ。

自身の根底にある信用や、波長ってもんに準ずるっていう、いたって単純明解な事だと再認識。

まぁ、こんな言葉を並べ立てている、オレの存在も…しかりってわけだよな!

まぁ、そんなことは、百も承知で発信するってわけなんだけれどもさ。




READY GO < カウント4 >


「カウント4」オレがバンドを始めた頃からの先輩である、gangstersの楽曲である。

オレが病気になってからというもの、オレに届けとばかりに、この曲を唄ってくれている
ようだ。

そんな話を、関東のライブハウスに足を運ぶ奴が、さらりと教えてくれた。

THANKS!

粋ってのは、素敵な奴ゆえの呼吸法みたいなもんなのかもね。

だから、なんだか心地よい。




READY GO < BASEMENT A GO GO >


世話になりっぱなしの、ライブハウスがあってさ。

「NANBA Mele」

以前は、ロックライダ―って名前だったんだけどね。

細い階段を降りて地下に行くってわけなんだけどさ。

入院中も、オレの大好きな みうらじゅん著書を、大量に持ち込んでくれてさ、病院には全く不似合いな、ライブハウス オリジナルTシャツを、プレゼントしてくれる、そんなMele。

そんなMeleの、月間スケジュ―ル表、メレマンスリ―に、コラム連載してるんだけどさ、こんな状況でも、なにかしら表現できる機会を与えてもらえてるって、ありがたいことだよな。

自身の活力にもなるわけだしさ。

あの階段を降りて、ドアを開けるまで、もうすぐ時間がかかっちまうけどね〜。

そんな気心しれたライブハウスに、フラッと立ち寄ることがあってね。

おでんを、食べさせてもらったりね(笑)

こんにゃくが苦手なことを伝えておいたから、次からは安心だよな。

色々と気遣ってくれるんだよね。

旅行に行ったら、お土産を送ってきてくれたりするんだよね。

米子に行ったときの、お土産ときたら…ゲゲゲの鬼太郎ポストカ―ドセット。

これまた、たまんない、チョイスだぜ。

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TERADA闘病記 第13回

2017/03/10 14:37
READY GO < BROKEN VOICE >


オレが、こういう状況になってしまったもんで、表立ったスケジュ―ルは白紙になっているんだが、病気を克服して、ステ―ジに戻るときのプランは考えてある。

まぁ、そういう性分なわけよ。

今年暮れに、レコ―ディングを行う予定なんだけど、リリ―スは、2012年春あたりを考えているんだ。

新作発売の時期に、ステ―ジに戻るってのが、タイミング的に良いだろうなって思ってさ。

少し先の話になるが、そんな花火の上げ方も悪くないね。

そりゃ〜最初は、年内中には確実に、ステ―ジに立てると思い込んでいたけどね。(笑)

でも、ステ―ジに立つ以上は、徹底的に身体を仕上げておきたいしね。

そうじゃないと、後悔っていう、やりきれなさに押しつぶされそうになるだろうからさ。

心配かけて、迷惑かけてんのに、不謹慎だと言われるかもしんないけどさ、この病気になったことを、一生に一度のチャンスが来たと考えてみれば、霧がかった自分の未来も、少しばかりは見通しが立つってもんだよな。

こじあけるしかないもんな。

強引にでも、こじあけてやるしかさ。

他でもない自分の未来なんだから。

レコ―ディングの全ての作業を終えるのは、十二月〜来年一月なんだけど、1日だけ先にレコ―ディングを入れてあったわけ。

早い話、オレ抜きでの、レコ―ディングってことね。

録れたての音を聴いたが、スカッとする良い出来ばえの4曲だった。

良いカタチで、オレも乗っからないとな。

自分の身体の調子を戻すことで、声の出方も変わっていくはずだ。

しかしながら唄い始めて数日。

どうやら、そんなに甘くないのが現実ってわけだ。

入院期間中、唄えなかったぶんのツケは、しっかりと返ってきやがった。

それとなく分かっていたものの、やるせないもんだね。

声の伸びも、ツヤも、パワ―も違う。

オマケに、声も枯れやすいときたもんだ。

OK とにかく、ここから始まりってことだね。

このラインがスタ―トか。

これ以下にしないってのが最低条件だ。

また何度目かの始まり。

こりずに、しぶとく、あきらめ悪く。

それが、オレの…アイデンティティ―。 

とにもかくにも始まった。 




READY GO < 日常的咆哮D >


才能がある、才能がない。

きっと大事なことなんだろうな〜。

きっとね。

才能か〜。

ところで自分を楽しむ才能とやらは?

それを持ち合わせてないなら、なんだか…もったいないな。

誰もが、自分って奴の、いわばプロデュ―サ―なんだもんね。

背伸びとか、過剰なデコレ―ションなんかじゃなくてさ、いま自分が身を置く、その現在地、現実の中で、自分を楽しみ、面白がる。

難しいことなんて抜きさ。

家族でも、友達でも、恋人でも、誰かと楽しい時間を共有してる場面でも、音楽や、絵画や、小説に、のめり込んでしまっている時でも。

楽しいと思えることは素敵な才能さ。

そんな時、誰かや、何かに、感謝が出来たら言うことなしだよな。

こういうのを幸せって呼ぶんだろう?

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TERADA闘病記 第12回

2017/02/10 12:00
READY GO < 日常的咆哮C >


他人様からの評価は、他人様の評価や意見として、そいつを受け止められる、そんな器のデカさも欲しいもんだよな。

ただし、そいつを消化できるか否かは、これまた別問題。

時として、自分を評価してやる、そんな自分ってのも忘れないほうが良い。

時々、甘やかしてやっても良いんだってば。

ハ―ドル乗り越えたなら、ほめてやれば良いし、大いに喜べば良いんだって。

そのぶん、違う場面で、しゃかりきになって踏ん張らなきゃならない、そんなバランス感覚を心得てりゃ、なんにも問題ないんじゃないの。


READY GO < MY GLORY >


FUNGUS新作「DOMINATE」を、1ヵ月遅れで聴きつつ、ストレッチをする。

体調次第ってとこもあるが、とにかく、まずは自分の思い描く1週間のスケジュ―ルを組み立ててみる。

毎日、朝昼晩、約30分ずつのストレッチを試みる。

柔軟性や、脚力を、最低限キ―プしときたいものね。

半身浴も毎日実践だ。

運動不足になるのは仕方ないが、少しでも汗を出しておきたいのと、どうやら半身浴は腫瘍に対しても効果的だと聞くからな。

パソコンは、週に2回程度にしておこうかな。

生活パタ―ンを変えるつもりでいるからね。

それと唄の個人練習は、週に4日程度だな。

さすがに入院中、声を出していないわけだし不安だけどね。

すぐに調子が戻ると良いんだけど、あまり過剰になり過ぎない程度にしないとな。

その加減が難しいもんで困るってわけなんだけどさ。

こんな感じで、思いつくまま、大まかに、自分の週間スケジュ―ルを組み立ててみた。

なんせ決め事しとかないと、調子崩すと何もかもが、めんどうに思えてきそうでね。

あとは、どれだけ予定通りに行動できるかって事と、治療が進むにつれて、どんな副作用が起こるのか、体調の変化を自覚症状として捉えるのかってとこだな。

それにしても、FUNGUS新作は、ゴキゲンなアルバムだな。

ストレッチを続けながら聴いていたんだけれども、自然と身体が動いてしまうからね。

悪いわけがないってもんだ。

それにしても特に、こういうシチュエ―ションのとき、1枚のCDが持つ重要性が、普段と比べて格段に上がるね。

実際問題、オレ自身の収入が減っちゃうわけだからさ〜(笑)

バイトに行かないわけだから収入が減るとはいえ、有給休暇や、傷病手当という施しがあるのは、本当ありがたいね。

リアルに助かります。

しかしながら、はずれの音源なんて買ってる余裕ないもんね。

いやマジでさ。

音は…熱を奏で、光を放ち、希望を運ぶ。

音の原子が伝わり、宿り、それぞれの胸で花咲かす。 
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TERADA闘病記 第11回

2017/01/10 14:00
READY GO < 通院治療開始 >


退院してから、通院での治療が始まった。

週に5日は、放射線治療を行ない、その5日間の中で、採血と、抗がん剤治療(化学療法)が、1日ずつってなスケジュ―ルだ。

実際の放射線治療を行う前に、治療の際に腹部にあてがう、いわばプロテクタ―のようなものを、自分の体型に合わせてかたどる作業があり、その数日後、放射線の照射位置確認の、リハ―サルを済ませた。

脇腹のあたりには位置確認のため、マジックでラインが引かれてある。

これまでより、ぐっと本格的に、治療ム―ド急上昇。

そりゃそうだわな。

なんだか緊張感が漂うね。

オレの場合は、合計9ヶ所から照射するみたいだ。

ノバリスという最新型の放射線治療器での照射らしく、健康な臓器への影響が極めて少ないとのことだ。

放射線治療の際に治療台に横たわり、念入りに位置あわせをしていると、否が応でも、オレの身体って結構…大ごとだよなって痛感させられちゃう瞬間でもあるんだよな。

実際のところ。

ちなみに、この治療台に上がり横たわった際に、パンツをギリギリまで下ろすことを義務づけられるわけです。

はい。

局部ギリギリのラインまでってわけです。

女性の看護士さんが、「失礼します」と、明朗快活に躊躇なく、パンツをズリ下ろした時なんて、なんらかのオプションサ―ビスなのかと、過剰に胸躍らせてはみたものの、もちろん、とりこし苦労以外の何物でもなかったってわけです。

はい。

そうはいっても、念のために、なるだけ小粋なデザインの下着を装着して通おうと、心に決めたわけでございます。





READY GO < 東京→奈良・闘いの先輩 >


通院での治療開始から数日経過。

特に思い当たる副作用もなく過ごしている。

…とはいえ、なんだか便秘気味。

どうやら抗がん剤の副作用の1つとして、個人差はあるようだが、便秘というケ―スもあるみたいだね。

昔と比べれば副作用も、相当少なくなってきているみたいだけどね。

幸い、吐き気や、食欲不振もない。

しかしながら、肝臓の炎症は引きずったままなもんで、重苦しい感じと、いままで(入院前)と比べて、疲れやすい状態ってのは否定できない。

けれども、この程度なら大丈夫。

まだまだ想定していた範囲内ってもんだ。

オレの、東京の仲間に「TRANS FIX」ってバンドがいてね、FUNGUSトリビュ―トアルバム「100PUNX」にも、オレタチREBEL★ACTIONと一緒に収録されている連中なんだけど。

闘いの先輩iNOUE氏に、最初出会った時ってのは、iNOUE氏が、このTRANS FIXで、ギタ―を弾いている時だったんだ。

確か、大塚RED ZONEっていう、ライブハウスだったな。

それから東京に、ツア―で行くたびに駆けつけてくれていたんだ。

今回、オレが病気になったのを聞きつけてさ、東京から奈良まで、とんで来てくれたってわけさ。

自身も数年前に、大変な病気になって、それを克服した闘病の先輩でもあるわけ。

色々と心配してくれていてさ、オレいまいち分かっていない部分も多いもんだからさ(笑)

手術後の定期検査なんかのアドバイスもくれてさ。

そうだな〜あとは、バンドの話を、たらふくしたっけな。

きっと似てるんだよな。

バンドに対する考え方とか、姿勢とかね。

オレ、こんな病気になって思ったんだ。

これから先、もしオレの周りで同じような病気になった奴がいたら、オレがしてもらったようにさ、こんな風に、耳と、心を傾けてさ、同じ深さと温度で話せたらなってさ。

オレで出来るなら肩かしたいなってさ。

それを、傷の舐めあいって言える奴は、痛みを知らないだけの傲慢なだけの奴さ。

誰も1人で生きていけるほど強くもないし、そんな風になる必要もないってば。

痛みってのを味わうからこそ、出会いや、言葉ってものが、ことさら大きな意味を持つってことなのかもな。

しかし、あれだな〜

オレの住んでいる、片田舎の駅の改札で、こんなふうに何度も、iNOUE氏と手を振ることがあるだなんて思わなかったよ。

再会だけを約束して、オレタチは別れた。

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TERADA闘病記 第10回

2016/12/10 12:10
READY GO < energize >


病院から家に帰ると、すぐにタバコを捨ててみた。

入院前から残っていたタバコをね。

なんせ、いままで禁煙なんて考えたこともなかったんだけどさ。

可能なかぎり誘惑は少なめにしておくにこしたことないってってわけだ。

ついつい気持ちが負けそうで不安にもなるしね(笑)

自分の部屋に戻ってきたとなると、抑止力は自分の中の掟のみになるからさ。

まっ、そんなこと大げさに考えるべきじゃないよな。

生きるためなんだから、どうってことねぇーよな。

そう思わなきゃ。

こないだの医師からの説明の際に、タバコは腫瘍に対して良くないって言われたもんだからさ。

こっちも意気込み伝えるべきだと思って、「じゃあ、今この瞬間からタバコやめます」ってな感じでさ。

調子を崩してからというもの、入院前の時点で、ほとんど吸っていなかったんだけどね。

タバコ吸える体調じゃないっていうのかな、とにかく気分が悪かったもんでさ。

まっ、なんにせよ本気を伝えなきゃいけないからさ。

やっぱり、こっちにも本気の意思表示する義務あるからな。

相手が治療のプロフェッショナルなら、こちとら治療される側のプロフェッショナルだからな。

入院も、手術も初めてだけどさ。

意気込みで負けてらんないもんね。

だって共同作業みたいなもんなんでしょ?

ちょっと解釈違うか(笑)

でも、ある意味では、コラボレーションなわけだから。

うん。

退院した日の御褒美は、THE STAR CLUB 最新作「energize」入院が決まった日が発売日だっただけに、THE STAR CLUB フリークになっていらい、初めて発売日に聴けなかった作品になるわけだ。

こじつけすぎな気もするが、そういう思い入れが面白みを増やしていくってなもんよ。

その新作を、MATSUDA(BADWHERE)が、気を利かして、プレゼントしに家まで来てくれた。

続入院バブルなり!

THE STAR CLUB は、いまだ、オレの中で特別すぎるバンドで在り続けているのは、まぎれもない事実だ。

VOCALである、HIKAGE氏は…いまなおヒーローのままなんだ。

十代の頃、リーゼントしたくて、生まれて初めて、リーゼントを理髪店で頼んだとき、HIKAGE氏の写真を指差して、「おばちゃん、こんなビシッとした、リーゼントにして」そんな言葉を発した。

THE STAR CLUB に、のめり込んだのは、十七歳の頃、母親からもらった百貨店の商品券を握りしめて買いに行った、ベストアルバム「 NOIZ ZONE 」を、手に入れてからだった。

CDを再生する。

ドキドキしながら再生する。

音が鳴り出した瞬間…あちゃ〜失敗したかもと思った。

確かに、そう思ったのを覚えている。

しかし曲が進につれて、決して耳ざわりが良いとはいえない、ザラザラした(音楽雑誌の定番コメントで失礼)サウンドと、他とは一線を画す詩の世界に引き込まれていったんだ。

その当時から、ずいぶんと時間が経ち、THE STAR CLUB の、オープニングアクトとしても、何度か同じステージに立つ機会があったが、ステージの上は別として、やはり緊張と、興奮と、喜びが湧き上がってくるのを否定できない。

そういうもんだ。

初恋の女にあっても、多分、なんとも思わないだろうが、人生を変えられたと言っても過言ではない、そんなヒーローと直面するのだから、言葉では表現しがたい高揚感ってのがあるわけよ。

そんな色あせない、永遠のヒーローに、十代の頃に出会えた事実、それ自体が、誇りなのだと公言して、はばからない…オレである。




READY GO < POWER TO THE PUNKS >

前述の、THE STAR CLUB の、ライブ会場での物販スタッフでもあり、少し前まで、大阪は、アメリカ村で、ライブハウスの店長をしていた男がいてね、オレが病気になってからは、オレの女かよってくらいにさ(笑)心配して頻繁に連絡くれる人でね。

アキラって名前だけで、充分わかる顔の広い男だ。

自身が企画したイヴェントや、プライべートで、ライブハウスに足を運んだ時なんかに、オレを知る連中に、オレ宛のメッセージカードを書いてもらってくれてたみたいでさ。

郵便で届いたんだ。

なんだか、すげぇー照れ臭いけど、ありがてぇー。

本当ありがてぇーな。

わかるんだよ。

こんな状態になると。

いままで以上にさ。

その人間の想いってのがね。

ただ、これは連絡くれた回数とか、そんな野暮な話なんかじゃなくてさ。

連絡なんてなくとも、なんとなく伝わる想いっていうのかな…、そういうのもあるわけだ。

でも、それってのは、言い換えてみれば、オレが相手を、どんなふうに受け入れてるかって事でもあるよな。

結局のところ、人間の心理なんて単純明快。

そういうもんなんだろうな。
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TERADA闘病記 第9回

2016/11/10 15:19
転がせDESTINY < 戸惑いながらも口ずさむ 「反逆ノ歌」 >


転院後、約2週間で退院?
 
あらっ、計算外。

「ひとまず退院いただいて、手術までの期間は通院していただいて治療しましょうか」

そんな医師からの言葉に戸惑いながら、

「手術が終わるまで入院させていただけませんか?」と、オレ。

オレのリアクションに、医師も驚いていた様子だった。

てっきり手術が終わるまで入院生活だと思い込んでいたもんでさ、それなりに長期戦になっても大丈夫なように、楽しみ方を組み立てていたんだよね。

この本は、来週あたりから読み始めて、このCDは最低三日間は聴き続けようとかね。

正直、なんだか残念というか、複雑な気持ちだったな。

それと、やっぱり病院っていうのは大きな抑止力になるからね。

いろんな制約を自分の中で設けることによって、否が応でも、これまでの日常と距離を置くことが出来るわけだしね。

オレには、それが良いような気がしてたわけ。

オレが過ごしている場所から見えている、窓の外の世界は、すべてが希望に満ち溢れているようにも感じれたし、すべてが、ここ以上に楽しい世界だと思えたからさ。

いわゆる目標を掲げるというか、目的意識をもって、徐々に身体を仕上げて、日常に、ステ―ジに戻るんだっていう気持ちが自分の支えとして強くあったからね。

それと、これまで同様の生活でないにしろ、これまでと限りなく同じ環境に身を置く不安っていうのかな。

日常の暮らしのなかで、オレの体調だけが非日常になるわけだから、唐突に訪れるかもしれない、シリアスな精神状態なんかも不安の要因ではあったかな。

一時退院になる前日、SAを聴いていた。

フラットな状態で聴いているつもりが、やはりBGMになんて出来やしなかった。

なんとなく宙ぶらりんな気分で、いまいち戸惑いを払拭できずにいる、そんなオレの胸ぐらに掴みかかるような、オレを高ぶらせるには充分すぎるナンバ―、「反逆ノ歌」を、繰り返し再生した。

突き上げてきやがるぜ、まったくさ。

結局のところは、自分…なんだよな。

バランスを保つも崩すも、自分次第。

自分と向き合えるか否か。

自分に厳しくあれるか否か。

単刀直入に言うと、タバコが恋しくなる気持ちを排除しなくちゃならないってわけだ。

あとは、抗がん剤を投与することで、白血球が少なくなっていくから、外出のときは、マスクをつけないとってあたりね。

ちょっとした事なんだけどね。

自分の、いまに本気になるってことだよな。

それが、いつだって重要なんだろう。




転がせDESTINY < 日常的咆哮 B >


自分の欲しがる、明日とやらをイメージしてみる。

身勝手に思い描いた明日を、イメ―ジしてみる。

「いつか、良い機会があれば」そんな言葉で済ませたくない様々が、胸の中、頭の中、やはり、おとなしく、素直に黙っていてくれそうもない。

もちろん可能なこと、不可能なことのジャッジが必要なのは承知のうえだがね。

失敗?

結果が伴わないことを、そう呼ぶならば、おそらく失敗の連続(笑)

ありとあらゆることがね。

もしも後悔という傷跡を失敗と呼ぶならば、女以外は失敗なしだ(笑)

とりあえず可能なかぎり、トライしてきたつもり。

物事は考え方次第で違って見える。

プラスも、マイナスも。

ポジティブも、ネガティブも。

ヘドが出るほど考え込んで、自分がちっぽけだと思える瞬間に出会えたら、その瞬間が始まりだ。

イメ―ジしてみる。

そう、イメ―ジするんだ。

そいつは、オレの可能性、転がるオレのガソリンだ。

とはいえ…時にストレス、出口なし、あるはずないのに欲しがる答え。

修行は続くよ、どこまでも。

とにかく転がせ、手前の人生!




転がせDESTINY < 転がれ 転がせ ディスティニイ― >


途切れることもなく
脈打つ消えぬ思い
無愛想に時間だけ
あざけるように通り過ぎても…
繰り返す 日々の中で
光を見い出せなくて
ふさぎこみ投げ出して
悔しさ ごまかしていた
時代だとか
社会だとか
逃げ道を探しても…

転がせ ディスティニイ―
塗り変えちまえ自分で
オレタチと唄え
ハミ出し気味のメロディ―

矛盾だとか
妥協だとか
受け入れても結局…

転がせ ディスティニイ―
何度目でも始まりだぜ
闇 引き裂いて
待ちきれず 駆け出すエナジ―

オレタチと唄え
ハミ出し気味のメロディ―
タフに生き抜く メロディ―
転がせ 自分の、ディスティニイ―
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TERADA闘病記 第8回

2016/10/10 12:00
転がせDESTINY < 日常的咆哮 A >


いろんな瞬間があるけどさ、そりゃ〜、時として…自分に嫌気がさす時もあるかもしんないけど、自分の熱を信じてやんなきゃな。

思うようにいかなくて、現実とやらを思い知らされて、自分の描いた夢に、押しつぶされそうになって、それでも最後まで信じてやんなきゃな。

夢が実現するか、どうかなんて話じゃなくてさ、自分って存在を信じてやるっていう、自分に対する責任だよ。

そんなふうに生きていきたいもんだね。

自分自身に熱くさ!

そういや…近頃、世間に蔓延している、形式的な言葉としてのみ成立しているような、都合のいい接続語レベルの「熱い」なんていう表現は響かないよな。

お茶濁しの言葉で語られるのは、ごめんだよ。




転がせDESTINY < I WANT >


十代の頃に影響を受けて、いまなお好きなバンドに、「横道坊主」という、バンドがいるんだけど、実は…8月 横道坊主 中村義人さんのユニットで、Yoshito & Uppy(中村義人&上田和史)に、REBEL ★ ACTION 企画のイヴェントへの出演を依頼していたんだ。

義人さんは、オレが病気になっちゃったもんだから、無理しないようにと、ありがたい言葉をくださっていたんだけどね。

でも、やろうと決めたんだ。

REBEL ★ ACTION 出演なしで決行しようと思ったわけ。

確かに主催のバンドが出演しないのも、変な話だけどさ。

でもね、REBEL ★ ACTION というバンドにとっても、この状況を乗り越えるってのは、必要なことに感じたしね。

やっぱり、オレは燃え上がる熱が欲しいと、常々、事あるごとに思ってきたからさ。

バンドの内側から突き上げてくるような熱をね。

それが色んな場面で奮い立たせてくれる原動力になるし、踏ん張れる力になると思ってきたからね。

自分が病気になって、こんな言い方もなんだけど、この状況で、どんなものが生まれるか。

つまり副産物だよね。

可能なかぎりは、すべてプラスアルファ―で考えていきたいしね。

逆境から、どう巻き返すかってのは美学ってもんでしょう〜(笑)

それとね、義人さんには、以前、名古屋で御一緒したときに、すげぇ―励みになる、勇気になる言葉いただいてたもんだからさ、少し変則的ではあるにしろ、成立させたいってのは、もちろんあったからね。

だって、自分が多大な影響を受け、いまなお好きなバンドマンと関われるなんて、オレは幾つになっても素直に嬉しいよ。

もちろん、ステ―ジの上には、そういう感情持ち込まないけどさ。

リスペクト同様に、好きって気持ちも大きな力になるからね。

いまだ、そういう気持ちにさせてくれる人間なんだよね。

そういう、ロッカ―なんだよね。 

中村義人って男はさ。
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TERADA闘病記 第7回

2016/09/10 20:20
転がせDESTINY < 入院バブル >


なんだかんだ言ってもさ、オレも結構、デリケ―トな部分を、持ち合わせちゃったりしてるわけ。

見舞いに来てもらうなんて、これまでの人生で、まったく経験ないわけだしね。

だって初めての入院だからさ。

基本的には断わっていたんだけど。

それでも、かなり積極果敢に見舞いに来てくれる関係者がいてさ。

ポ―タブルDVD、ipod、CDウォ―クマン、花に、プロレス雑誌、みうらじゅん著書、三代目魚武 濱田成夫 著書…そして現金(げんなま)イヒッ。
 
いや〜不謹慎ながらも、入院バブルのような有り様でございまして、退屈する暇なんてないって―の。

ちなみに、オレの入院していた病棟は比較的遅くまで、見舞いに訪れた方々が残っていても怒られない病棟でね(基本、60代以上の年配の方しか入院していないからだろうか)

そうとはいっても、消灯時間の5分前に滑り込む奴なんてのは、なかなかいないよ。

実際に、不審者だと思ったくらいだからね。

おまけに悪びれることなく無邪気に微笑まれてもな〜(笑)

そんな男( OVER 40 )が、ベ―スを弾くバンドで唄わせてもらっております。  




転がせDESTINY < 再びの緊迫感 >


当たり前ではあるが転院しても続いていた禁食。

8日間で終わったんだけどさ。

仙人に成れてしまうかのような気分だったよ。

水と、豆腐だけで、数ヶ月過ごした仲間の話を思い出したよな〜。

そいつの場合は、レコ―ドに金を遣いすぎてしまっての話で、全く同情の余地なしなんだけどさ。

しかし、夜が眠れないのなんのって。

食べ物以外のこと思い浮かばないんだもんね。

何を食べたいとか言うより、想像を超える、ボリュ―ムの食材で自分が調理して、そのメニュ―をぺロリと、たいらげてしまう、そんな空想で空腹を満たす始末。

だから病気のことなんて考えられなかったよ。

空腹すぎてさ。

禁食が解除されて、食事(おかゆ)が始まったんだけど。

これがまた、意外に食べられないもんなんだよね。

自分でも驚いたんだけどさ。

おかゆで充分に満たされてしまうんだよね。

もちろん徐々に食べれるようになっていったんだけどさ。

食事が始まって数日後には、鼻からのチュ―ブを外す処置が行われたわけ。

腫瘍で圧迫されて、極端に細くなっていた胆管に、人工の管を挿入する処置ね。

その際に再度、細胞を取り出し、悪性か否かを検査してもらったってわけ。

鼻からのチュ―ブに、おさらば出来たと同時に、喉のあたりにあった違和感もなくなり、ずいぶんスッキリ。

転院して、ひとしきりの検査と処置が終わった。

あとは主治医の説明待ちってことになる。

治療できる段階であるのか、それとも…「NO」なのか。

最初の入院先では、確かに治療できる段階であるとは説明を受けた。

しかし転院して実際に手術を受ける病院で、主治医が何と発言するのか?
 
闘う覚悟は変わらないとは言え、今現在の病状や、今後の治療法に関する説明が行われる日、取り乱してしまいかねない、激しく脈打つ自分を感じずにはいられなかった。

心臓が締め付けられるかのような息苦しいような感覚。

あの…なんともいえない嫌な感覚だ。

オレだけでなく、数多くの人が、この瞬間に直面するのだろうな。

ただ、ひたすらに祈った。

胸の中で繰り返し祈った。

足りないアタマが、根を上げるくらいに、あれこれフルスロットルで考え巡らせた。

どんなに強がってみたところで、怖くないわけがなかった。

自分と向き合う、それは時として凄まじく怖い瞬間でもあるのだと、初めて思い知らされた。

すなわち、その瞬間とは自分の命を直視するということでもあるわけだ。

主治医を中心として、家族と共に部屋に入る。

オレの状況を心配して駆けつけてくれた、MATSUDA(BADWHERE)も、イスに腰かけている。

この時ばかりは、MATSUDAを見て笑う余裕など、もちろん持ち合わせていない。

主治医の言葉に耳を傾ける。

膵臓以外にも数箇所切る、大がかりな手術ではあるが、治療できる段階であるとのことだった。

そして治療の説明のあと、前向きに共に頑張っていきましょうという言葉を聞けた。

オレは、頭を深く下げ、「どうか御願いします」そう言った。

体中の力が、すぅ〜っと抜けていくようだった。

救われた。

それが隠しようのない本音だ。

物心ついた頃から、1人で考えていた。

命ってものを。

考えれば考えるほど、不安になって、寂しくなって、怖くなって、言いようのない気持を誰かに分かってほしくて。

肉体は滅びても魂は、決して…くたばりゃしない。

そう信じているくせに、死ぬのが怖くて仕方なくて。

矛盾してやがると言われるかもしれない、でも、これがオレなんだ。

生きて、生きて、生きまくりたい! 

生きて、生きて、行きまくりたい!

ずっと、そう思って生きてきた。

両親も、少し安心した表情を覗かせていた。

MATSUDAも、喜んでくれていた。

オレはといえば、全身の力が抜けたような、疲労感を味わっていた。

どことなく心地良い、そんな不思議な感覚だった。


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TERADA闘病記 第6回

2016/08/30 00:09
転がせDESTINY < ルーツ >


オレは、しばらくの間、町内の仲の良かった、おばさんの家や、母方の叔母の家、祖父母の家と順番に預かってもらっていた。

オレが幼い頃、父親は明け方に家を出て、夜遅くまで材木工場で働いていた。

だから幼い頃に、父親の顔を見た記憶ってのは、ごくわずかしかなかった。

どうやら腕利きの職人だったらしく、当時の仕事仲間の方からも、そんな話を何度か聞いた覚えがある。

オレが産まれてすぐに、当時の工場が閉鎖。

そして、オレが3歳の頃、父親の働いていた材木工場の機械が故障し、丸太の下敷きになり内臓破裂。

助かる見込みは、0.1%にも満たないと、医師から母親に告げられた状況だったが、奇跡としか言いようのない生命力で、ちっとも大げさなんかでなく、まさに傷だらけの生還を遂げたってわけだ。

そんな大きな手術だっただけに、まだ幼かったオレがショックで、なにか突発的な症状を引き起こしたりしないか、そのあたりを心配しての、母親にとっても苦しい判断だったんだろうな。

父親の具合が少し安定しだしたのは、手術後、2ヶ月ほど経ってからだったかな、祖母に、病院に連れて行ってもらった。

あの時の光景を、30年以上経った今でも鮮明に覚えている。

体中にチュ―ブを通され、酸素マスクをつけた父ちゃんは必死に手を伸ばし、小さいオレの手を、強く…強く握りしめた。

そして何度もオレの名前を呼んでいたんだ。

声は聞こえなくとも、口元が何度もオレの名前を呼んでいたその姿が、なにかあるたびに、オレの逃げたくなる心に火をつけ、あきらめそうになる心を奮いたたせてきやがった。

そんな男に生き方を教わってきたんだ。

やせ我慢の美学のようなものも含めてね。

父親は闘い続けた、田舎独特の、噂好きの悪しき風習や、手術後に、はね返ってくる肉体的なダメ―ジ、そして現実を受け入れるしかないとはいえ、これまでの生活とは大きく異なる日常に対する戸惑い。

そんな父親の心情を察しながらも、気丈に振る舞い働き続けてくれた母親。

倒れることが許されない状況下での気苦労を分かっていながらも、オレが中学〜高校の頃は、毎日のように音を立て弾けるかのような、家の中での摩擦にずいぶんエネルギ―を使わせ、擦り切れさせてしまったような気がする。

ただ、いつでも真正面から受け止めてくれていた。

まっ、その当時は、そんな風には考えられなかったけどね。

そんな両親に心配と迷惑を掛けることしか知らないような、貯金なし、嫁なし、ぺ―パードライバ―な、バカ息子のオレだが、今回の病気に関しては、仕方ないとはいえ申し訳なくて、頭あがんないって感じだね。

幾つになっても心配かけてんだから、さすがに、そう思っちゃうよね。

だからこそ早く元気になって、バリバリで、ステ―ジに立たなきゃね。

だって、それしかないもんね(笑) 

オレに出来る…胸を張って誇れることってさ。

もう引き返せないし、ひき返すつもりもないし、オレの選んだ道は、確かUタ―ン禁止だったはずだからさ(笑) 

だから、こりずに悪あがきするってわけさ。

へへっ




転がせDESTINY < ROLL >


転院しても、限られた空間を、可能な限り楽しめる空間にカスタムしてみる。

ほんの些細な事であっても、楽しみ方は自分次第。

負担にならない程度に身体も動かす。

朝昼晩と、自分で決めたストレッチメニュ―を実践。

楽な方に傾くと、歯止めなく転がりそうな自分ってのも知っているつもりだしね。

自分の考えたスケジュ―ルで過ごせたほうが、わずかでも充実感が得られるような気がするしね。

オレの現在地は、間違いなく病室。

それでもロックンロ―ル出来るんだぜ。

オレは、そう信じて疑いやしない。

それが職場であろうと、学校であろうと、家庭であってもさ。

オレは、たまたま病室にいるってだけの話でね。

ROLLすることが重要なのさ。

転がり続ける姿勢がね。

「ロックンロ―ル」オレが口にする、この言葉は決して楽器をプレイする連中や、カテゴライズされた、音楽ジャンルだけを意味するものじゃないんだぜ。

ハ―トがROLLしているか否か、そこなんだよ。

青臭いくらいで良いじゃないの? 

カッコ悪いくらいに、本気のエネルギ―あふれてる、そんな人間臭い奴で良いんじゃない?

それくらいで丁度良いんだよ。

そうじゃなきゃ、面白くねぇってば。

自分に対して薄っぺらい奴は、他人に対しても同様。

まぁ、全てに当てはまるとは言い切れないけど、あながち外れてもないだろうって思うよ。

…オレはね。

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TERADA闘病記 第5回

2016/08/10 12:12
転がせ DESTINY < 電撃移籍 >


空腹だけが、いまのオレの悩みの種。

いささか高い ハ―ドルではあるが、少しはダイエット効果も期待できるかという思いもあり、強引に食欲を抑止しようとするのだが、そんなにたやすく鎮火できるはずもない。

オレは待っていた。禁食から解放される時を、ひたすら心待ちにしていた。

ところが…急転直下、このタイミングで転院することになったわけ。

その理由というのは手術の治療実績だ。

母方の叔母が調べてくれていたみたいでさ。

どうやら最初に入院していた病院は、膵臓癌の手術件数が少なかったみたいでね、そのわりに、主治医ときたら1週間ちょっと先には手術を行うような口ぶりだったから、余計に心配して転院先を考えてくれていたみたいなんだ。

父親も三十数年通い続けている、かかりつけの病院の医師に、オレの状態を話してくれていたみたいでさ、その病院の医師が紹介しようとしてくれたのが、父親も過去に数回手術をしたことのある病院。

オレが…ガキの頃、少しの間保育園に行かず、母親と一緒に寝泊りして生活していた病院だったってわけ。

「手術をするということは、術後の治療も含めて、長期間になるので、それなら地元の病院に転院したほうが、なにかと都合が良いかと思いまして」と、あたりさわりのない発言で、転院を希望している旨を主治医に伝えると、その主治医は、腕の立つ医師を紹介すると言い、即連絡をしてくれたんだが、その腕の立つ医師とは偶然にも、父親が相談してくれた病院の医師が、紹介しようと考えてくれていた病院の医師と同一人物だったんだ。

今年の夏で、三十七歳になるオレだが、この年齢での膵臓癌も珍しいようで、しかも早期発見ということで、最初に入院した病院からしたら、手術してみたかったんではという話も、長い付き合いになる医療従事者から聞いたりしたが、もちろん真意を知るよしもない。

ここは…すべては ALL RIGHT! 

全部ひっくるめて、ラッキ―だ。

この時点では、まだオレも治療法に関して、全く無知だったから、なんとなく良かったのかな程度だったんだけどさ、少しずつ治療法なんかも知っていくにつれ、転院して助かったという気持ちが強くなっていったね。

もちろん断言なんて出来やしないけど、転院せずに最初の病院のままだったら、かなりリスキ―な手術になっていたんじゃないかなと思ってね。

転院の日、点滴や、鼻からのチュ―ブも、ブラ下がったままの状態なもんで、救急車で搬送してもらえることになった。

助かったな〜経済的に。

タクシ―代、バカになんない距離だからさ。

それにしても救急車なのに、あまり元気そうなのも体裁悪い気がしたもので、適度に患っている空気感をサラリただよわせ、無事に転院先の病室に上陸!

それにしても、救急車で、約一時間半揺られたわけだが、思ってた以上に、身体が痛かったね。 

まぁ、贅沢な話か。




転がせ DESTINY < いつかの夕焼け >


転院先の病室に入る。

妙に懐かしい景色だ。

オレの父親が入院していたのは、この病室ではなかったはずだが、それでも病室の窓から見える景色に懐かしさを感じずにはいられなかった。

病室から真正面に見えるのは、レンガ模様の喫茶店。

店の名前よりも大きく、なおかつ目立つ位置に喫茶店という看板を掲げておられる。

しかも、喫・茶・店 と、3枚に分けた看板である。

ことのほか業種を主張しているわけですな。

病院の敷地内には、当時あった池はなくなってしまっていた。

当時はウシガエルが数匹いたんだ。

のぶとい鳴き声で、これでもかと自己主張していたな。

そんな ウシガエルが妙に気になって、母親と一緒に池にきては網で捕まえようとしてたっけな。

でも考えてみたら、その頃のオレは、カエルに触ることの出来ない子供だったように思う。

本当は、カエルを捕まえることが目的ではなく、病室を抜けて外の空気を吸いたかっただけなのかもしれないね。

あの時のオレじゃないと分かんないだろうけどさ。

いや…あの時のオレでさえも、そんな理由は分かりっこないんだろうな。

病室の窓からは夕焼けが見える。

オレが見ている、この夕焼けは、幼い頃に感じていた、なんだか、漠然とした寂しさや、人恋しさを、いまのオレに与えることはなかった。

それよりも、新たな環境での生活の始まりを告げられたような気分だった。

最初の病院では、窓際でなく、通路側だったもんで、今回みたいに景色が見えると、ずいぶんと気分も違うもんだなって思ったよ。
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〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

なお、今月はTERADAの誕生日である8月30日にも公開いたします。
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TERADA闘病記 第4回

2016/07/10 00:06
CANCER<ERCP>


すい臓がん(膵臓癌)か否かの診断を行う、ERCP(内視鏡的逆行性膵管造影)ってのも、体験しちゃいました。

膵管に細いチューブを挿入し、膵臓癌によって生じる膵管の変化を調べる検査で。

これで、がん細胞があるかを検査し、ここでがん細胞が見つかれば、膵臓癌であることが確定するみたいなんだよね。

大ざっぱに言うと、こんな感じの内容だったと思うんだけどさ。

胃カメラの十倍以上は痛いよだなんて(十倍…それは誰が認定した比率なのか知るよしもないが)、聞きたくもない、欲しくもない、情報を事前に半強制的に聞かされていたが、とにかく噂どおりに痛い検査だった。

胃カメラ経験すらない、ビギナ―のオレには、初戦から手強い検査となった。

途切れることなく、くり返し何度も、何度も、もよおすリバ―ス感覚。

どれだけ耐えれば良いのか予測できないだけに、苦しさも…ひとしお。

これは荒行と呼んで良いですか〜と、訊ねたくなるかのような、スパルタな痛み。

しかし本気と書いて、マジ痛かった〜。

失禁したとしても恥ずべきではないと言いたいくらいさ。

なんせ、オレは肝臓が腫れあがっているもんでさ、うつぶせの状態が、かなり苦痛なわけよ。

はっきし言って、ベッドに面している肝臓のあたりが、追い討ちをかけるように痛むわけさ。

この検査の数日前に行った、内視鏡の検査では、うつぶせにならずに済んだから、そのぶんマシだったんだけどね。

ひとまず、この検査のタイミングで、鼻から入れているチュ―ブで胆汁を体外に出し、黄疸の数値を下げるという目的の処置をしてもらったわけ。

とにかく鼻がかめない。

チュ―ブが抜けるの怖くて、鼻かめません。

しっかし、まさか自分が点滴ブラ下げて、胆汁を体外に出すチュ―ブを鼻から出すだなんて想像できなかったな。

すごく不便で困るだろうなと思っていたんだけどさ、慣れちゃうもんなんだよね〜これがまた。

鼻から出ているチュ―ブは、もちろん喉も通っているわけで、食事したら違和感あるんだろうなとか心配していたんだけどさ、そんな心配は、少しの間は不要だったね。

というのも、この日の処置から、8日間 禁食になっちゃったもんでさ。

肝臓の炎症もだけど、膵炎も引き起こしていたみたいでね。



CANCER<告られました>


数日後、告られました。

しっかり告られました。

宣告ってやつですな。

腫瘍が、ジャッジされたわけです。

良性なのか、それとも悪性なのか。

はい、出ました。膵臓癌。

ただし治療できる段階であるという補足ありきでね。

手術が可能であると聞けただけに、そんなには落ち込まなかったな。

助かるということしか考えていなかったね。

もしも、手の施しようがないと言われら、想像絶する、ヘビ―なダメ―ジだったに違いないだろうけどね。

ただ、オレの中で、最初から決まっていたからさ。

どんなに厳しい現実を突きつけられても、絶対に最後まで、あきらめずに立ち向かうって。

そう何度も言い聞かせてきたからさ。

やっぱり怖くないって言えば嘘になるもんね。

癌の疑いがあると言われたら、やっぱり怖いもんさ。

だからこそ、何度も自分に言い聞かせたしね。

ただ、どんな宣告をされたとしても、立ち向かうしかないからさ。

生きたいならば闘うしかないからさ。

あきらめるなんて自分に失礼だしね。

自分の命にさ。

他でもない、己という、厄介で、憎みきれない、愛しい奴にさ。



CANCER<日常的咆哮@>


絶望とは、ずいぶん痛むものかい?

身体が火照っちまうような感覚かい?

心拍数なんかも、あわただしくなるもんかい?

そんでもって、時として涙なんかも…こぼれ落ちたりするのかい?

ところで、君は本気で友と向き合っているかい?

同じ温度で向き合うことが出来るかい?

やっぱり、シリアスな話は、めんどくさいもんかい?

それとも言葉が見当たらず、さえないジョ―クで濁して終わりかい?

うすっぺらいのは必要ないんだよ。

めんどくさいだけだ。

絶望とは信じあえる奴がいないこと。

それと、もうひとつは…

本気になれず、ごまかし続けている…そんな自分自身なのかもよ。

時として、照れ隠しの場違いな…リアクションは、なんだか、そいつの器の小ささを見せつけられちまったようで、すこぶるオレまで気が滅入る。

捨てちまえよ。

そんなポ―ズも、安っぽいガ―ドも。

話をするのは、それからさ。



CANCER<ONE NIGHT STAND>


ブットバセ ロックンロ―ル
がむしゃら マイウェイ
快晴続きとはいかないが
どしゃ降りばかりでもないさ

ハッタリと強がり
開き直りブギ
途方に暮れることもあれば
息苦しい時も、あるけれど

いつもの場所で 
また…
金にもならぬ詩を
こりずにオレは唄い続けてる

今夜、踊り明かせ
途切れることない夢を
朝まで、語り明かせた頃のように
いま呼び覚ませ
生き方を選んだとき
なにかが出来ると自分を信じた
なにが何でも立ち向かうと決めた
すべての夢が叶うと信じた
あの時みたいに
この瞬間に存在 鳴り響け
輝いてやるのさ 光なんかなくても
 
ジェラシ―  
チキショ―
エネルギ―に変え
突破してきたぜ ため息まじりのDAYS
ためらいのハ―ドル 飛び越えてさ

うずいた傷口も
向かい風にさらされりゃ
癒えちまうってもんさ

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TERADA闘病記 第3回

2016/06/10 01:45
CANCER <雨上がりの夜空に風穴を>


人生初の入院から数日経った頃、改めて…唄に、ロックに救われたなって感じたりもしたね。

横文字の苦手な両親に頼み込んで、CDを部屋から取ってきてもらったりしてさ。

CDラックの、どの位置にあるかを図解解説して頼んでたわけさ。

いや〜両親からすれば、まったくもって迷惑千万な話だよね(笑)

本当ありがたかったっす。

前述したように、この時期は、RCサクセション、ストリ―トスライダ―スを聴いていた。

そういや、オレが中学生くらいの頃は、NHKでロックバンドのライブ映像も結構放送されていたんだ。

俗に言うバンドブ―ムって時代だね。

オレが惹きつけられたのは、バンドブ―ムの真っ只中にあっても、ブ―ムなんて、どこ吹く風とばかりの佇まいを醸しだしている、そんなバンドばかりだった。

RCサクセション、ストリ―トスライダ―スの、汐留PITでのジョイントライブなんかも放送されていたっけな。

音楽雑誌では、この2バンドを共に、「最強のロックバンド」と、形容されていることも多かった気がする。

最強と表現しているにも関わらず、1つではなく、はなっから2バンド選出している矛盾こそが、いわゆるナンバ―ワンでなく、オンリ―ワンに重きをおく、都合の良いロック的解釈と容認してもらうしかない(笑)、そういや、こんなライナ―ノ―トもあったよな。

「ベイベ―を連呼して様になる、日本のロックバンドは…RCサクセション、ストリ―トスライダ―スだけだ」完全に決め付け、思い込みかもしれないが、説得力充分です。

完全に言い切られちゃってますもんね。

力づくで押し倒されちゃったみたいなさ。

RCサクセションに興味を持ったのは、オレが中学生の頃。

原発問題を取り上げたアルバム、「COVERS」が発売中止になる問題があってね、清志郎は、以前からテレビでは観たことがあったんだけど、RCサクセションのVOCALとしてではなく、坂本龍一との、「い・け・な・い ル―ジュマジック」の、イメ―ジだったわけ。

だから自分の記憶の中の点と点が、やっとこさ繋がったときの嬉しさってのが、特別な思い入れになったりしてね。

オレが初めて買った、ロックバンドのCD、それは…RCサクセションだった。

ライブアルバム「コブラの悩み」これを最初に手にしたんだ。

前述の発売中止騒動の時期に行われたライブを収録した作品だったんだけど。

中学生の頃の担任に、このアルバムに収録されている、「アイ・シャル・ビー・リリースト」、「言論の自由」、この2曲の歌詞を、毎週提出を義務付けられていた日記帳に書いて提出したのを覚えている。

自分流に言葉を置き換え、アレンジして書き殴ったものをね。

担任は呆れ果てて、オレを変人呼ばわりしたね。

相当、頭にきたんだろうね。

もちろん、これには理由があってさ、わけのわからぬ身に覚えのない濡れ衣を着せたり、
不意のアクシデントで、教室のガラスを割ってしまったことを、謝ったにも関わらず、
「オマエは謝ることもせず、知らんフリしている」などと、あまりにもオポンチ(オバカ)発言の過ぎる聖職者でいらっしゃったもんでさ。

まぁ、ロッカ―志望の中学生としては、主張しなくちゃならない義務感みたいなもんもあったしね(笑)

もう一方の、ストリ―トスライダ―スは、夜ヒットこと、夜のヒットスタジオという、テレビ番組に出演していたのを、たまたま観たわけ。

確か小学生の高学年の頃だったかな…

司会者の質問に受け応え…一切なし。

まったく無反応。

いまでいう放送事故みたいな光景だったわけ。

「テレビを観ている、ファンの方にだけでも、ひとこと御願いします。」
確か司会者は、こんな言葉を投げかけていたような気がする。

VOCALが、「ボリュ―ムを上げてくださ〜い」と、しゃがれた声で、かったるそうに言い放った。

健全という言葉とは、全く対極に位置する風体に嫌悪感すら抱いていた。

この時、オレは決めたね。

ロックなんて聴くもんか、聴いてやるもんか。

ところが中学生になり、ジャストポップアップという、これまたテレビ番組で、連中を観てしまったわけさ。

そう ストリ―トスライダ―スを。

初めて観たときから数年を経て、気がつけばオレは完全に虜になってしまっていた。

しゃがれた声が、すんなり入り込んできた、あの気だるそうな独特の雰囲気も拍車が掛かったといっても過言ではない映像だったにも関わらず。

病室の、真っ白い シ―ツの上に 横たわったまま聴く、馴染みの曲達が、やけに新鮮に聴こえたのは何故なんだろう。

センチメンタル?そんな問題じゃなかろうに。
  
色褪せない楽曲は、もちろんのこと。

いまだ変わらない自分の一部分ってのを、時に誇らしく思うことがある。

単に、好みの話しだなんて、つれないことは言いっこなしだぜ〜。
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TERADA闘病記 第2回

2016/05/10 17:54
CANCER <不意打ちのダメージ>


夜中に運悪く目が覚めてしまったばかりに、どこからともなく訪れる、孤独感にも似たような、なんだか気が遠くなりそうな、あの嫌な感覚。

そう。

なんだか心臓が暴れだしたかと思えば、血の気が引いていくかのような、そんな嫌な感覚。

自分が自分でなくなるのを阻止するかのように、首を左右に振り、頭を揺さぶった。

「NO」それが、オレの意思表示であり、オレに突きつけられた現実と格闘する覚悟だ。

つまり、負けねぇ―って意志なわけだ。

「腫瘍が悪性ならば癌です」
医師の言葉は、しっかりとインプットされてある。

OK

そのつもりで入院する。

もちろん恐怖はあったが、少し冷静に考えようと試みた。

自身の頭の中を整理するためにもね。

癌治療に関する知識なんて、ほとんど持ち合わせていなかったもんでさ。

悪いとこさえ取り除けば、元に戻るんだって単純な発想に落ち着いたわけよ(笑)

オレときたら、癌であっても切ったら大丈夫なんだろうぐらいに考えてしまっていたんだよね。

なんせ助かることしか考えていなかったからね。

当面の課題は、病名や、症状の原因を知り、
頭を切り替えられるのかということだったな。

これまでの生活から、ガラッと変わってしまうわけだからさ。




CANCER <ロードムービー>


なんだか、ピンときてない、浮き足立った感も否めないまま、少しばかりの合宿気分なんかも引きずりながら、入院当日をむかえた。

あきらかに両親の戸惑いのほうが大きかったんじゃないかな。

なにしろ貯金なし、ノ―フュ―チャ―(あくまでも世間一般的解釈からするとの話ね)な、ひとり息子の人生初入院ってわけだからさ。

この日ばかりは、さすがに面目ないってな感じでさ。

心なしか、オレも、しおらしく振る舞っていたような気がするよ。

気分的な話だけどね。

入院なんて暇なんだろうな〜なんて思っていたんだけどさ、案外そうでもないわけよ。

すべてが時間通りなわけだからさ。

こっちも自分のスケジュ―ルを、それにあわせて組み立ててみるわけだ。

オレの組み立てたスケジュ―ルってのは、こんな感じだ。

AM6時起床が決まりなんだけどさ、そこまで待ってらんないってな感じで、AM5時には起床しちゃってるわけだ。

消灯時間も当然早いからさ。

普段なら、まだ家に帰ってないような時間に消灯なもんでね。

まず朝起きたら、歯磨き、そして朝食を待ち構えつつ、ストレッチをする。

食後は決まってゴロリ横になる。

調子を崩してからというもの、肝臓が炎症を起こして腫れていることもあり、食後は吐き気がするもんでね。

朝昼晩、食後は決まって1時間ばかし横になっていた。

吐き気だけではなく、食後は肝臓への負担も大きいせいか、身体を動かすのが辛いってのも正直あったしね。

これは、あくまでもオレの個人的な自覚症状でしかないんだけどね。

まぁ、病室の4人部屋ってのは、1人あたりのスペ―スってのは、かなり限られた空間ってことになる。

自由度や、時間ってのも含めてね、でも、その状況を如何に快適に楽しむか、楽しめる空間にするかってのを考えるのも、なかなか面白いもんだったよ。

この場所での生活を、どれだけ心地良く過ごせるかってことに直結することだからね。

自由が良いなんて言ってみたところで、制約が一切ないところで生きていけるわけじゃないしね。

制約がなければ、自由ってもの自体が存在しなくなるって事になるしね。

モノは考えようだ。

出来るだけ足し算で考えたい。

だって、最低最悪の場合を想定して、それでも自身を奮い立たせなきゃならない場面も多々あるわけだしさ。

それなら可能性のあることに対しては、面白くしようと考えたいよね。

そうじゃないと擦り切れて、しぼんでいっちゃうだけだもんな。

ちなみに病院での入院生活中、まったくテレビを必要としなかったな〜。

テレビカ―ドを買わなければ観れないんもんでさ。もったいなくてさ〜(笑)

そのぶんCDは頻繁に聴いていたな。

この時期は特に…RCサクセション、ストリ―トスライダ―スを好んで聴いていた。

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